老い気がついたらライターになっていた

2018年06月23日

山手線のポーランド語

ブハラのカラーンモスクは世界で一番好きな場所だと思っていた。

灼熱の真夏に、なぜか夜行列車で行って、暑くて暑くて死ぬかと思った。8月のウズベキスタンが、わたしにとってのはじめての旧ソ連圏だった。

列車のおなじコンパートメントのおじさんたちは、私にチャイを沢山注いでくれた。



山手線でロシア語に近い言葉をしゃべっている老夫婦がいらした。

どこから来たの、とロシア語できいたら「僕たちはロシア語は話せない」と言われた。でもロシア語をしゃべったことは理解してもらえて、ロシア語と彼らのことばが近しく聞こえたから声をかけずにはいられなかったことは理解してもらえた。

ポーランドの夫婦だそうだ。

クラコフに行ったことがある、といったら、僕たちはワルシャワだよ、と英語で会話は続いた。

「why you speak russian?」

「i ,,, в инстытуте русского языка ..」突然英語は喋れないのである。

イケブクロで降りるそうだ。

日本の地図は、通りに名前がついていないがないからさっぱりわからない、そうだ。согласно.

それが土曜に上野に急いで向かっていたときの話で、その日は早朝から予習が終わらなくて朝からヨガに行ってその後授業にいって寒くてくたくたで、急がないと博物館はしまっちゃうし、その話を巨大なカニの標本を見ながら空の人にしたら「電車で声をかけるんですか」、と言われた。

そういうチームとか和を大事にしている人たちからみたら、変な女なんだと思う。でもけっこう前に、それはOLをやめようと思った年の夏休みに、人様はともかく、わたし自身はそういう生き方はしないことにきめていた。

空の先輩とまた喋りたいのだけれども、ちょっと静岡は遠いいなあ、と思っている次第で、やっぱりキエフにふらりと飛べばよかった。

coloro at 00:02│日記 | ことば
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